読書と重力

仕事をやめて二ヶ月経った。送別会で久々に元職場の人々と顔を合わせて話を聞いていたら、ものすごく自然に自分にとってそれらが他人事になっていることを実感した。私はあそこで、それらを日常にして暮らしていたんだと思った。どんなに不恰好で無様でも、私はあそこで暮らしていた。ひとときでも。そのことに今は満足していると思う。

積読を読んだり図書館に通ったりしたいなと思った。勉強がしてみたかったし、これから何をするにしても、もっと勉強が必要だと思った。久しぶりに夜通し本を読んで図書館に足を運ぶと、知を貪ることがこれ以上ないほど幸福に感じた。

二月の間、休養していたときに何をしていたか今思い出せないんだけれど、月末にバイトを始めて、あと同人誌の原稿を始めて、なんかもうとにかく同人誌の原稿というのが生活を圧迫するくせにめちゃくちゃ生活を豊かにする。豊かにするというか、安定させる。と、いうか、はっきりさせる。しなくちゃならないこと(締切)がないと、楽で自由だけど寄る辺なくて、真っ白な平野を歩いて行かなくちゃならないような途方のなさが出てくるんだけど、山を設定したらとりあえずその山に登ることがしばらく生きる理由や目的になるので、もうずっと生きる理由が分からなくなっている上にどうやって生きていけばいいかも分からないのだけれど、今年中はとにかく同人誌の原稿をするために生きようと思います。

しかしバイトや同人誌の原稿をしていると思っていた以上に読書をする時間というのはなくて、結局電車の中で読んだり寝る前に少しだけという感じだから、かなりスロースペースにはなるけれど、ゆっくりでも読みたい本を少しずつ読んでいきたい。


プリズン・ブック・クラブ--コリンズ・ベイ刑務所読書会の一年

プリズン・ブック・クラブ--コリンズ・ベイ刑務所読書会の一年

一ヶ月ほどかけて読んでいた。一晩で読み通せない本を読むのは久しぶりだったのでペースが掴めず、生活を立て直しながら合間合間に読んでいたので最後は読み終えるのが寂しくなってしまった。空き時間に友達に会いに行くような気持ちで読んでいた。これから読書を取り戻していくぞ、というタイミングだったので、本を読むことに対するモチベーションが強化されてとてもよかった。読書についてもそうだし、その他の普段考えているテーマなどに結びつく場面も多々あって、それらが整理されたとは言い難いけど、これからの地図のような存在になってくれたなと感じる。



かつていた場所は過剰な重力の支配があって、自分が本来身動きがとれる存在であることを思い出した者はその重力から逃れようとする、そんな世界だった。私はかつて、その場所にある重力にこそ惹かれていたのかもしれないとすら思う。自分の軽さがあまりにも寄る辺なくて、途方にくれて、やっと選べると思った重力が、いかりが、そこにあると思いたかった。

けれど私は思ったのだろう、そんなものが欲しかったんじゃない、と、きっと。まだ見たことのない景色が数多にあるというのに、私はここで生き続けてここで死ぬことはできないのだと。

私は嵐から逃れたのではなく、再び嵐へと舞い戻ったのだ。私は地獄から逃れたのではなく、私の地獄に再び出会ったのだ。

私は嵐を追うことも逃げることもできず、ただ嵐こそが私であることをようやく知った。

読書は旅なのだろうな、とは以前から思っていて、だからこそ、再び読書と共に生きたいと思った。どんな場所でも、どんな道筋でも、きっとそばにいてくれるだろうから。どれくらいの重さがちょうどいいのかなんて、そんなの時と場合によるとしか言いようがなく、おそらくそのちょうどよさを探すために、誰かの重力を知ることを要請する。寄る辺ない生き方だからこそ、自分で重力を探す必要がある。それはほとんど死に場所を探すことに似ている(生きる理由と言い換えても、あまり変わりはないように思う)。私はずっと死んでもいい理由を探しながら、いまだ死に損なっている。死んでいったかつての私たちを時折ふりかえりながら、その残響たちが巡る荒野で。

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