セックスを許した(ある非性愛者の『君の名前で僕を呼んで』感想)

君の名前で僕を呼んで(Call Me By Your Name)』を観ました。
死ぬほど個人的な感想を書きます。
まとまりない文章なんですが、書いておかなくてはと思った。

私はデミセク寄りのノンセクとかその辺の自認を今のところしている人間で、BLが好きです。


!ネタバレ注意!


ずっと楽しみにしていました。ただ、こないだシェイプオブウォーターが果てしなくノットフォーミーだったことで絶望して「私、思ったよりララランドに救われてたんだな…」と謎の自覚をしたりなんだりしていたので、恋愛映画を見ることがわりと不安だったんですが、大丈夫でした。安心した。

シェイプオブウォーターの件で(一応言っておくがシェイプオブウォーターは別に悪くはない)二人は幸せに暮らしましたENDで「共に生きる」ということが幸せとして肯定される物語を食らうとめちゃめちゃすり減ることが分かったので、最後エリオとオリヴァーが離れ離れになったからこそ好意的な感想が出てきているな、という気もします。

同性愛が悲恋にされがち問題に関しては私もうーんと思うんだけど、結ばれないことで救われる人間もいたりする。

この映画は時代設定もあるし、世代ごとに少しずつ環境や葛藤の在り方が変わっていくのも大事な要素だよなと思いました。オリヴァーやお父さんが叶えられなかったからこそエリオのこれからの人生がどんなものであれ祝福に満ちたものだといいなあ。彼らはそれぞれの時代に生きるパラレルな同一存在なんだなと思った。


というかそもそも私は基本的に、相手を失う(あるいは永遠に獲得できない)ことを含めて己という存在が完成される関係性が死ぬほど好きなんだよなあ…みたいなことを考えつつ、具体的に好きだったところをあげます。

・じゃれあいのいとけなさに泣いてしまう
・あの恐る恐るの「えいっ」って感じのやりとりが一番泣いちゃう
・背中をぽかぽか叩いて飛びついたり、足の指を重ねるところがすごく好きだった
・相手の身体に興味津々なのが観ていて楽しかった(性器以外の部位も慈しんでいる感じが不快感がない要因だと思う)
・女の子としたとき、彼女が笑い出しちゃうのがすごく好きだった
・「痛みを葬るな」という台詞


ところで基本的にフィクションにおけるセックス描写に対しての私の率直な反応はだいたい、「変なの……」という親のセックスを目撃した子ども並みの感想なんですが、
たぶんセックス以外の描写に満足・納得していればキャラがセックスすることは受け入れられるのかな?という感じがしていて、だからこそBLは読めるというか、BLのことが好きなのかもしれないとも思う。

この映画を観て、あれは自分だと思う一定の誰かがいることをとても嬉しく思う一方で、私にとってはあれは絶対に私のことではなくて、でも、その上でなお私の見た夢だった。

自分にとってBLとは、私の愛せる愛だの恋だのや、私の愛せるセックスを探せる場所だったと思う。
もちろんセックスを愛さなきゃいけないなんてことはないんだけど、でも私は私の納得のために、それらを理解したかった。
この映画においてはエリオとオリヴァーだけじゃなくて、女の子とのセックスもまったく嫌悪感を感じなかった。楽しそうだった。いつもの「なんか変なことしてんな」という気まずさや居心地の悪さや退屈さではなかった。「なんか変なこと」じゃなくて、何をしているのか理解ができた気がした。
なんていうか、その「衝動」そのものが理解できた気がした。

もちろん私がそう感じただけで、そう思わない同じような属性の人間もたくさんいると思う。あくまでこれは私の話だということを分かってほしい。

でもなんていうか、私はセックスのことは分からないがその衝動というか、強烈な感情の矢印だけは持っていた。というか持て余していた。
主に二次元の男にそれを向けている夢女なので、それはいつも自分との戦いだった。しかも、同族嫌悪を抱きがちなタイプのキャラに対していつも戦いを挑んでいた。私は自分を肯定する代わりに対象のキャラクターを肯定しようとしていたんだなと最近気づいたところだった。

その誰かのことを好きではないのかもしれなくても、好きになりたいとずっと思っていた。
だからこの映画の、相手を肯定して自分を認めるという行為は、私の思い描いていた「好きになりたい」の「好き」だった。
私の「好きになりたい」が叶った世界だった。
私のこの、精神的デュエルを渇望する衝動のように、たぶんそれと対等に、肉体的接触を渇望する衝動がそこにあった。
私はそれをしないけれど、私はそれを理解できた。これは勘違いかもしれないが。

私は初めてセックスと対等になれたような気がした。
自分でもよく分からない、こんな感想はおかしいのかもしれない。おかしいのかもしれないとつい言ってしまうことが苦しいけれど。
でも私はこの映画を見て、なんだか少しだけ楽になった。
たぶん私は一生セックスに呪われて生きていくんだと思っていた。その呪いが少しだけ解けた。
この「少し」がどれだけのものなのか、どれだけ予期していなかったか、どれだけまだうまく受け止められないものなのか、あなたに分かるだろうか。

そんな不思議な映画だった。救われたというのとも少し違う。ただなんか、身体が軽くなったような、気が楽になったような不思議な心地だけがある。肩の荷が下りたような、逆にようやく地面に足をつけられたような、急に何かから自由になったことへの戸惑いがある。

それと、セックスとは関係なく、最近「自分の身体は自分の身体である」ということをときどき思い出しては身体性の獲得へとじわじわ取り組んでいるんだけど、それの一助になったような気がする。

あと、この感想の本筋とはまったく関係ないんだが、この映画では少年が大人になり青年が子どもでなくなるけれど、子どもであることも大人であることも罪ではなかったのが、何気ないけれど確実に嬉しかった。